国際機構法 2011年度後期
期末試験
試験 2011年2月13日(月) 16:00-17:50
持込 六法貸与(六法には国連憲章が含まれている)
試験問題 (PDF)
添付資料 なし
講評
全体的コメント
問1はまじめに勉強しているかどうか、問2は深く考えているかどうかをそれぞれ問う問題である。講義時に伝えておいたとおり、細かい知識を確認する趣旨ではない。
採点にあたっては、積極的に評価すべき論述のみを考慮の対象とし、誤りあるいは不適切と判断される論述については、無視するにとどめ、減点はしていない。
問1 (50点)
1. ねらい
2. 答案に求められること
「それぞれの制度構想と実際の運用とに分けて」説明すべしと明示してある。分けようと試みてさえいない答案、いずれかの一方しか説明しておらず、他方について説明を試みてさえいない答案は、評価の対象にならない。同様に、「異同を説明せよ」と明示しているため、比較を全く試みていない答案は評価の対象外である。
異同を事細かに説明していけば、答案用紙が何頁あっても足りない。そこで、より重要なもの・根本的なものを選択し、それを整理して比較することが必要となる。
3. 答案に期待されていないこと
この講義では、国際連合の安全保障制度の冷戦後の展開については触れていない(「国際法第2部」で学ぶ、と伝えてある)。また、国際連盟・国際連合について問われているので、それ以外の機構(ILO・IBRD・IMFなど)に触れる必要はない。もちろん、触れても減点対象にはならないし、内容次第では加点対象としている。
4. 答案へのコメント
(1) 制度構想における異同
これについては特に説明は要しない。シラバスに掲げた参考文献を参照されたい。
(2) 運用における異同
こちらの方は、やや工夫が必要である。また、明確な「正解」がある類の問題ではない。
少なからぬ答案は、国連憲章の運用の柔軟性・発展性を指摘し、その例として平和維持活動や「平和のための結集」決議、あるいは経済社会分野での活動の広がりなどを挙げていた。さらに、その裏付けとしての黙示的権限論や有効性の推定に触れ、国連損害賠償勧告的意見や国連経費勧告的意見を説明するものもあった。連盟規約の運用にも柔軟性・発展性は見られる(異同の「同」)が、たしかに国連憲章において一層明瞭である(異同の「胃」)。
問2 (50点)
1. ねらい
2. 答案に求められること
自らの立場を根拠づけることが求められている。相手の立場を否定すれば自らの立場を正当化したことになる、という対立構造にはなっていない。
3. 答案に期待されていないこと
「憲法化」することが「良いこと」であるかどうかについての説明は求められていない。
4. 前者の立場をとる答案
(1) 広く見られた問題
対立するもう一方の立場への反論が一切欠如している答案が少なくない。「現代の国際法秩序は憲法化しつつある。」という表現は、それ以前はそうでなかったことを前提としている。もう一方の立場が昔からそうだったと主張していることにも鑑み、何らかの反論を用意する必要がある。
また、国連憲章についてのみ述べた答案も多かった。中には、問を「国際連合憲章は国際社会の憲法か。」に(故意に?)改変した答案さえあった。国連憲章は「たとえば」として挙げられているにとどまる。
(2) この立場の根拠付け
国連憲章を「憲法」と考えるべきかことが適切かどうかについては、講義の最終回で議論したことに付け加えることはない。
それ以外に何を言い得るか? 講義で扱った内容に限定するとしても(当然限定して良い)、さまざまな形態の秩序形成のあり方について扱ってきたため、その活用が考えられる。二国間関係の累積(例、投資法)、私的アクターを中心とする秩序形成(例、ドーピング規制)、地域統合(例、EU/ASEAN)などを「憲法化」と関連づけながら議論を構築しようとする答案はいくつか見られた。もちろん、WTOなどについて論じるのも大いに結構である。
5. 後者の立場をとる答案
(1) 広く見られた問題
「19世紀以前の国際社会にも、法秩序はあった」と言うだけでは足りない。問われているのは、それを「憲法」と性格づけることができるかどうか、である。この文脈において「憲法」をどのように定義すべきかを簡単に説明した上で、そのような「憲法」を認めることができるかどうかを説明する必要がある。
(2) この立場の根拠付け
少なくとも、講義で扱った、
について、それぞれの内容を簡潔に説明しつつ、自分なりに定義した「憲法」概念にそれらが合致することを主張する必要がある。この立場に関する問題文中の表現を見れば、上記のいずれか一つについて書くだけでは十分でないことが理解できるはずである。
なお、この立場をとる場合、そのこと自体が自動的に前者の立場に対する批判になるため、前者の立場を明示的に批判する必要はない。
以上